1・17@Shota

だいぶ遅れましたが
1・17追悼式について書かせていただきます。

今年で15年目を迎えました。

阪神淡路大震災から
15年。

よく考えたら
あの日から自分の人生は
決まってたのかな? と思わされました。

今年も追悼式に参加できて
よかった。

本当に行ってよかった。

自分を奮い立たせるものが
そこにはありました。

黙祷を捧げている最中
走馬灯のように震災の記憶が
なんかわからんけど蘇ってきた。

赤ちゃんの鳴き声
今でもたまに聞こえてくる。

あの時から耳からはなれんくなったんです。


神戸に戻っていると
震災特集が多くされていて
それが当たり前のようになってました。

普通なのかな?

でもね、石川では能登半島地震の日
3.25が風化しつつあるのかなって
最近よく感じます。

まあ他人がゆうことや無いとは思うんですけど
金沢を含める加賀地方と能登地方で
温度差がすごくあるように感じます。

これは能登に行くたびに
いつも感じること。

地理的な要因はすごく大きいとは思うけど
同じ県内だけど同じ県内じゃないみたい。

能登の人の話を聞いていても
そう感じて仕方が無いのです。

そういう状況を理解しつつも
何も出来ない自分がもどかしいです。。

だけど今やってる「灯」の活動を通じて
少しでも石川県の防災に対する意識であったり
向上につなげていきたい。

自分は能登半島地震っていう
一つの事象に焦点を当てて
石川県っていうフィールドを選んで
この大学を選んでこの学部を選んで
このコースを選んできたってことを
忘れたらだめだときづきました。

改めてこれから自分がやっていきたいこと
今回の追悼式で学んだ気がしました。

今はこれでいっぱいいっぱいやけど
阪神淡路大震災を語り継いでいくこともしたい。
自分自身にとっての阪神淡路大震災
父親の話などの本間に阪神淡路大震災
最前線にいた人の話。
いろんな人に語り継いで生きたい。
そう感じた一日でした。

同時に自分の将来についても
夢のカタチがはっきりしてきました。
やっぱり自分は「伝える」っていうことを
仕事にしたいって思いました。

阪神淡路大震災について伝えていくという意味も含めて
これから世界で起こる事象について人々に伝えたい。
ただ単なる事象を伝えるんじゃなくて「おもい」を
伝えて生きたい。

1.17は自分の原点であると
改めて再確認できました。